実際にじぶんがそういう立場になるまでは、どんなことも「理解」には至らない。
いつも心からそう思っていたけど、こと
結婚
出産
子育て
と
それに伴うオンナとしての人生においてどんな変容や何を受け入れることになるのかの細かなことについては宇宙くらい未知でファンタジーなフィルターがかかってました。
実際にその立場を経験してる今なんだけど、こんなにも想像できる範囲をはるかに超えて、そして全く想像と違うものだなんて!と驚くとは思いもしませんでした(笑)
今日は実際どうだったかの記事でもあり、ネガティブもあったけど…の実際のまとめ的記事です。
未婚で出産未経験だったかつてのわたしは
子供はハンデ
結婚は不自由
と、なんか五七五で一句読んだのかってくらいの単純でネガティブなイメージが8割でした。
あとの2割はいわゆる打算的(?)な安心要素のイメージ。
生活面のこととか、情緒的な孤独を感じないで済むとか。
で、してみて実際。
子供はほんとギフト!自由と可能性を教えてくれる神さまみたいな存在
結婚は自由であたたかくて世界が広がる
がほんとのところでした。
子供はハンデ
結婚は不自由
ってのは完全に
そういう側面でそういうふうに印象を持つこともできるだけ
で、
そういうふうに感じてしまう場面や要素を含んでるだけ
ってことがはっきりわかりました。
そう思っちゃいがちな同じ場面に同じ頻度で出くわしても、結果
そんなふうなイライラも子供がいたからこそ感じられた素晴らしい日々のギフトだ!
とありがたい気持ちになって、さらに
いるからこそできることも叶ったときのワクワク感も倍だ!!!
ってなる。
それも受け取り方だと。
後述のそれって今のわたしのことですが、とはいえ日々イライラすることも激昂することもあるし不自由だって少しも感じないわけじゃない。
やだな〜と感じることも、不条理だな!って感じることだってあります。
それでもやっぱり総合的に受け取るものは
ありがたいギフト!!!
って感でまとまってしまう。
正直出産を経験したのちからつい最近までは、ものすごい孤独を感じてたりもしました。
出産前にしょっちゅう行き来のあった友人が思いっきりスタンス変えるってのに遭遇したりもたし。
子供を連れて食事をする機会もはじめはたびたびあったけど、やっぱり子供を持ったことがない立場なら子連れは何に気遣えばいいのかわかんないし、粗相されるのもあんまりいい気持ちはしないよねってことで…
で、自分へのおさそいは激減。
というかもうほとんど眼中外の世界。
一方そうしてる方はお酒のむ席だってずっといつものペースでいられて、仕事もバリバリ自由にできる。 楽しそうに行き来が頻繁だった頃ちょっと悪く言ってたひとたちと絡む、つるむ。
Facebookでつながってたりしたらそういうのも流れ弾に当たるみたいに垣間見る。
一方わたしはママ友を器用に作れるタイプでも、つくろうと思うタイプでもない。
旦那さんがずっと家にいるわけでもなく、器用で細かく気配りとかしてくれるタイプでもなくむしろ長男ですかスタンス(笑 最初のうちは。今はだいぶパパらしくなってます)。
だから孤独と不自由感でやりきれなくて泣いてたこと、たくさんありました。
5ヶ月頃からひどい湿疹が発生しはじめてから1歳までは、少しの慣れからの余裕と成長を楽しめる気持ちもできたけど厳しい食事制限も加わって発散場所もなくていっぱいいっぱい。
なんで?
こんな思いしなきゃいけないの??
って思いと同時に、
そんな気持ちを味わいたかったんだ…
って意外な気持ちとで複雑な気分を味わい尽くしました。
でもこうすることでわたしはまた根っこにある気持ちを発見することができて。
同時に逆の解釈をしたら得たものがたくさんあったことにも気づけたし、そしてそれは「望んでいたこと」そのものでした。
縁遠くなることで「相手に合わせる」時間がなくなる=じぶんに集中する時間へシフト
違うご縁とつながる時間やきっかけができる
その付き合いの裏側にあった気持ちを表面化できた
とかね。
実際は時折子連れで仕事をしたりなんていうときもたびたびあったわけだし、もっと実際の生活はいろいろ新たな付き合いとや行き来も生まれたりしてて
おおむねしあわせ
ってかんじの日々だったんですけどね。
結婚生活もそう。
うわ!これ失敗だったか!!!(笑)みたいなことだってしょっちゅう出くわすけど、結局はその相手に対して感じた感情をちゃんと消化しきるためのただの「きっかけの出来事」で。
ちゃんとそこに時間とエネルギー向けて、おかしな偏りをニュートラルに戻せば
あれはなんだったんだ??
ってくらいするんと「問題」だったことはなかったことになってしまう。
むしろまた「結婚してよかった!」と相手を見直す出来事として始末がついてたり。
これって例え私が結婚も出産もしない人生だったとしても、どこかで同じ「問題」には出くわしてたし同じように向き合ってったのだと思います。
たまたま結婚とか出産とか育児という状況がじぶんに起こったというだけだということを実際その立場を経験しているいま、ほんとに日々実感してます。
過去のわたしはそのどれも
スキル
能力
価値
とかそんなふうな…
なんか「ブランド品」的なイメージでとらえてたんですよね。
そうじゃないぞ〜!と過去のわたしに往復ビンタと一緒にこの経験の事実を食らわしてやりたい(笑)
超電撃結婚じゃないと、ここまできっちり考えを巡らすこともできなったかもな、とも思うのです。 条件とか吟味したりリスクを思いっきり計算して避けたりなんて余地があったら他の後悔の念で違う考察で頭いっぱいになちゃってたろうな、と(笑)
なんでも条件で計算するもので「得た」ものってほんとは「失ってる」側面もある。
逆もまた然り。
ふつふつと実感する事実。
もし結婚したいって思ってるひとがいたら、何かの発見になれば幸いです(笑)
にもつじゃないよ〜
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