ここのところ下腹のあたり、腸のあたりなのかな?
ずっと張っていて苦しい感じが取れませんでした。
年末の声も近いからなのか予定がいろいろ続いていて、少しじぶんを優先する時間が減っていたせいかな?と思っていたら今朝子供の様子を見て感じたことで何に違和感を持っていたのかに気がつきました。
息子くん明日で1歳3ヶ月。
なのでそろそろ保育環境や交わるコミュニティについて考えたり、基本的な生活の動作を自分でするよう促すことへの意識をそういう行動が伴うたびにしていたり。
乳児の頃の弱者生存管理的な緊張感を伴うことからステージが変わって、監督やマネージメントの部分が生活意識の大半になってきています。
つい昨日までトイレトレーニングの一連の流れを順を追って覚えてもらおう、と日常の中で排泄のたびに声がけやおまる慣れを試みてました。
結果。
昨夜で断念(笑)
うちは11ヶ月から布おむつにしたものの、濡れようがウンチしようが泣かない(汗)
それでも用をしている様子はわかったから、声がけやおまるに座らせて話しかけなどやっていました。
うん。もうかれこれ4ヶ月も毎日毎日そんなことをしてたんです(笑)
まあ気負いなんてせずに適当にやろう、とほんと適当にやってたつもり。
そう、つもり。
彼はこの4ヶ月間、理解はしていながらもわざと嫌がってるというのを感じさせる反応ことごとく。
まあ薄々はちゃんとそう感じてたんですが、わたしなりに「適当に」細々と続けてたんです。
時間は夜中の3時。
おしっこでむずかって目覚めてぐずったので、「適当」な日常の延長でおまるに座らせたらこれまでにない大爆発!
その後20分くらい割れんばかりの爆音で泣き叫びました。
パパは眠れないしわけわかんないしで背中をひたすらトントンしてなだめて。
でもなぜかわたしはイライラもせず至極冷静。
ぐずりや泣き叫ぶ声はいつでも猛烈にイラつくのに。
泣き叫ぶチビに完全に背をむけて、ぼんやりと、でも覚醒してる意識の中でわたしははっきりと気づきました。
おなかの張りはこれだ、と。
下腹の張りの苦しいかんじって誰かに対して瞬間的に感じた本音を言いたいはずなのに、これまた瞬時に当たり障りのない違う言葉を発したりというときによく起こってたこと。
ということは…
フラストレーションを”意識できていない意識”の中では感じてるってこと?
と一応その声はキャッチしながらガス抜き(小さいことでも本音で言いたいことを言い直してでも言う、とか)も入れつつ過ごしていたけど、どうも違うっていうのがここ数週間の間中ずっとあって。
それで今回の騒動。
トイトレ単体でどうのということじゃなく、
じぶんにかまえよ
っていいう声だったんだな〜、と思い知らされました。
本音を言う
とか
隠してたような「じぶん」を実際にちゃんと出して「大丈夫」なことを体感する
とか
相手のことより自分のことを優先する
とか
いろいろ「じぶん」の破壊と再生ってのはやってきてて得たものたくさん、ミラクル的なこともたくさん体験してきてたんだけど。
わかったんです。
性根クラスで「ひとのことに一生懸命すぎる」、と。
わたしの「適当」って全然適当じゃないらしいってことに。
無意識すぎて消耗してることになんて全く気がつかないけど、実際の魂の真ん中部分では「エネルギー他に行きすぎ!!!やめろ!!」って伝えている。
そこにはっきり気付けた昨夜の出来事。
それこのごろ何回かヒトにも言われてたんですよね。
わたしの「フツー」って普通レベルじゃないですよ、ってね。
カップルとしての日常なら「じぶん」にエネルギーかけるていう行動はわかりやすいのに、
伝える
導く
っていう要素が入ってくると
責任
管理
の部分がどうしても気になるし、ちゃんと未来までコントロールしたくなってしまう。
でもそれはじぶんも相手も
そのまんま受け入れる
信じきる
ができてないってことになるわけで。
そこがまだまだなんだなって課題までもが見えてきた今回の事件(?)。
朝無邪気にはしゃぐチビを見て、まだ赤ちゃんのおもかげたっぷりの姿に何を根つめてたんだろう…と拍子抜けな気分とともにそんなことをしみじみ思ったのでした。
カラダが伝えたいメッセージはごくシンプルだったんだろうけど、芋づる式にいろいろ思うところにたどり着けたんだから奥深い。
ゆっくりじっくりだけど確かに変わってる。
でも流れがなんだか停滞していたのも確かに感じてたこのごろ。
心だけじゃなくてカラダに耳を澄まなくちゃだめなんだなあ〜。
自覚はないけどなぜか誰からも「がんばりやさん」と、付き合いの浅いひとからも言われてしまうタイプなら特にきっとそう(笑)
じぶんを生きるってほんとハード!
もっと気合いれてがんばります(笑)
ちょいと渋滞、でもバックミラーに夕焼け空の富士山と海。
混んでもそんなにイライラしないって生活するにはうれしいオマケ。
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