昨日、今日と坊やの授乳回数がとんでもないことになっていてビビります。
坊やももうすぐ一歳。
そんな日いくつか過ぎた次には何かできるようになるのかな?
私はいわゆる高齢出産で坊やを出産しました。(今年39歳)
産むまではとにかく出産そのものも子育てもほんと、「他人事」でした(笑)
勝手に育つでしょ、とw(わりかし真面目に今も思ってるし、実感も得られてますが。)
ところがどっこい。
まあもちろんある意味は勝手に育つんだけど、とにかくちっちゃいし細かったし初めてなのでわからないことだらけで、産んだ後は全然ハッピーな時間とは言えなかった。
出産もまるまる2日かかって、人生で味わったことない強烈な痛みにあまりに長時間さらされて死ぬ思いしたし。
想像してたのと全然違って「かわいい〜」なんて眺めてるヒマも余裕もなく、月齢低いうちは「病気しないか死なないか」みたいなものすごい緊張感が張り詰めてました。
しかもうちの坊やは5ヶ月ごろからな上半身から顔真っ赤に湿疹だらけになって、つい最近までその状態が全然すっきりしなかった。
だから余計にもっと神経張り詰めて一時期は結構な精神状態だったかな。
それがハイハイしだして、湿疹も「ああ、これは治っていってるな」と落ち着いて観察できるようになってきてようやく「かわいい」時間が多くなってきました。
ブログなんて書く気持ちが浮かぶ余裕すらもなかったな。
いや、お風呂とかは毎日きちんと入ることすらできなかった。
それが今は気持ち的な部分も整理ついたのもあるけど、こうして「書く」ってことを楽しんで出来てる。
それがこのごろはとてもうれしい。
子供産むとか産まないとか、実のところ私自身は
子供いらない
とずーっと考えてました。
そういうことが現実的になったのは去年がはじめてだったしね。
38になるまでそのご縁なければ、正直リスクの方が怖かったし、この先もうそういう縁(結婚とか)もないだろうと諦めてたのもあったし。
なのに今全然違う世界にいて思うことは、
しあわせに子供のあるなしは全く関係ないな
ということ。
結婚するもしないもやっぱりしあわせに関係はないな
とも。
もちろん今とても幸せなんだけど、その幸せって結婚してても子供がいてもちゃんと自分に向き合うってことを続けてるからこその感覚。
嫌われたくない
失いたくない
そんな存在だからこそ、乗り越えるのに物凄いハードルが高くなったことばかり。
1人でいるときの方が楽なことはたくさんあったし。
よく書いてますが「毎日が離婚騒ぎ」だしね(笑)(過去記事にいくつかあります)
だからこそ
どちらもしあわせ
と心の底から思う今です。
ほんの数年前までの私は結婚も出産も、なんなら人生でみんながフツーにできることすらマトモにうまく「出来ない」、「人と比べて自分に価値なんて見出せない」と、それらを「能力」みたく思ってました。
だからいつも心に癒えぬヒリヒリした痛みを持ち続けてました。
でも「能力」でも「価値」でも、それを測る物差しな出来事でもなんでもなくて、ただただ自分の生きる世界の中の「背景」のひとつひとつであるってことをつくづく実感します。
「問題」は他人の中にはない
自分の中にしかない
ってことを日々自分に向き合うことを続けて「感じる」たびに体験するからかな。
なぜか過去の自分へ、なのか、メッセージが浮かんだので書いてみました。
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