自分の中を見る作業。
それははっきり言って最初のうちはものすごく
苦しい
場合が多い。 というかわたしはそうだった。
こころのことに興味を持って「心理学」に触れ始めた頃は、セオリーとか法則に対して忠実にはなっていたけど「自分の根っこの声」には嘘をついていたことが多かったと思う。
「ポジティブに捉えなさい」
「『ない』の裏側にある『ある』に目を向けなさい」
みたいな方法論に誠実であろうとしすぎて、実際もやもやするようなコトがあったときの自分の「ホンネ」は「そう感じるのは間違ってるんだ!しあわせになれないぞ!」なんてふうに蓋してたわけで(笑)
で、「行動しなければ変わらない」なんて文言があれば文字の上っ面だけみてちょろちょろとせわしなく何かをしていないと落ち着かない気分で動き回っていたっけ。
その「行動」っていうのは目に見えない「こころのうごき」も、目に見える”動く”ということと完全に同等の意味を持っていたと実感したのは本当につい最近のこと。
女性としてうまれて、
自分に集中することについてフィジカルな面から衝撃的なインパクトで提唱してくれている子宮委員長はるちゃん。
彼女のブログに出会って、そしてその周辺の方がたの「常に自分にフォーカス」ということを実践してきている今。
離婚さわぎなくらいのドタバタ騒ぎがあっても、結果はやっぱり「自分の本心からの望み」のカタチに忠実になっただけだからそれが現実になるのはある意味当たり前なんだけど…
でもやっぱりそれって実際に体験してみないとほんとにわからない。
この記事の後から3〜4日しか経過してないんだけど、結果って想像したのとは似てるけどやっぱり細かいディティールって違うし、そのときの「感じ方」ってのはもっと細かい部分が違うわけで。
やる、やらない が問題なんだけど、それは必ずしも
肉体を持って移動したり作業したりってはなしとはまた別のはなし
なんだな、ということを今日も実感中。
そういえばこっちの経過や結果、まだ書いてなかった(笑)
おもしろい変化を日々いちいち確認してるので、もすこしまとまったら書きます。
写真は最近とても気になっているジュエリーブランドのLinieさんの画像。 こうやって今は「う〜〜〜〜〜!これいい!これがある生活…❤️❤️!!(妄想に入る 笑)」というようなモノコトは写真を集めてたりします。 ながめてよだれ垂らしてる(笑)
とりあえず前に帽子の写真を載せたことあるんですが、あれは写真見つけて数日で手に入りました。 ジュエリーはどんなかんじで手に入るんだろう〜とたのしみに妄想中。
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