たま〜に話しの中に出てきますが、うち夫婦は超電撃結婚カップルです。
どれくらい電撃かというとほぼほぼ交際0日。
出会って数時間後に「あなたみたいな人と結婚しようと思ってたんです」宣言から口火を切って、そっからはもう目が漫画みたいに炎になってたという(笑)そんな最近じゃ漫画でもめずらしいじゃないかって出会いでした。
そんな出会いがある少し前に、自分の「中」へフォーカスを戻すという訓練を地味にやっていった経緯があったことは前にも書いたことあるんですが、特別「パートナー」というテーマについて集中してフォーカスしていたわけじゃなかったんです。
わたしは「お金」とか「自己価値」の部分にものすごい重い鎖で自分を繋いでいる自分を自覚してはいても、パートナーとうテーマに関しては別に特別「不運」とか感じてはいませんでした。
普通に愛された経験も一度だけでなくあったし、モテない方でもなかったからたのしい思い出もたくさんあった。
それに何かしらのネガティブな経験も全ての「彼らの個性のなせるもの」として自分の中の印象としては”いい思い出”ってかんじの軽いものとして残ってたし。
「豊かさ」とか「自己価値」
この2大自分テーマの深さしつこさとは比べものにならない、なんか付随して調子悪いな…みたいな軽い感覚でした。
でも自分の思考が届く意識で「豊かさ」とか「自己価値」が自分のテーマだなってぼんやり捉えてても、よくよく考えてみたらその要因って「家」とか「家族」の最小コミュニティの中にいたときに形成してたりするわけなんですよね。
少なくともわたしはそうだった。
思いっきり母親との関係でがっちり構築されてきたものだと、そのきっかけが肉体的な衝撃も伴うものだったこともあってはっきりすぎるほど自覚してました。
なのでテーマをそこにしぼっていたわけじゃないけれど、知らないうちにその部分の重要性とか望んでいる強さに気づくことにつながっていったんですよね。
そんなときに何かしらの拍子にこの質問に当たったんです。
お金も人もなにもかも用意されているとして、いまあなたは何をして何をやめる??
そうしたら心底
自分の家族、帰る家が欲しい
って声が湧いてきて。
え?そこだったの?
とシンプルすぎるホンネに驚く自分も感じつつ、瞬間的にぶわ〜〜〜〜〜〜っと滝のように涙が流れたことを思い出します。
で、その出会いがあったのはその数週間後、だったかな。
正確に覚えてはいないけれど、とにかく「こないだのあの瞬間からそんなすぐ???これが引き寄せ?????すごすぎる…」って自分自身が驚いた。 あれは2年半前のことなんだな〜。書いてて改めて当時のこと思い出した(笑)
2年半も経ってるとは思えないような、それでいて10年以上の時を過ごしたような不思議な感覚だけれどとにかくあのときのことは周囲の反応より自分が一番びっくりしてて。
つい最近まで「眺めてる」感覚でした。
世界の成熟度っていうと経済発展とかそういう意味で使われることが多いのでしょうけど、わたしにとっては霊長類としての人類が生きる「時代の空気」みたいな。
なんか見えない「世界観」とか、なんだかほんとうまく表現できないけれど、知性とか霊力というか「魂力」というか。
その時代を生きる全ての生物が発するエネルギーがぐわ〜〜〜〜っとひとつになった磁場みたいなものというのかな。
それがすごく「物質的」ではなくて「エネルギー的」な発展がものすごい速さで拡大しているような気がするんです。
わたしが一人で仕事をはじめた頃「第一次SNS起業ブーム」みたいなかんじの時流でした。
でもそのときってまだなんだか台頭している人たちも、どこか偏っていたり迷走している?とどこか???と腑に落ちない感覚が拭えないような感覚がありました。 (でもそのときは全然言葉にできなかった)
でも今は違う。
みんなパワーもエネルギーも研ぎ澄ませて覚醒したとたんに、一気に世界を変えていっている。
なんとなくふと、今日気になったはこの方。↓
そろそろなにかしら始動したいという思いもあるけれど、今のわたしはいったん「ゼロ」に戻っているところ。
この「気になる」センサー。
この先どう繋がっていくだろう。
ちょっと自分でもたのしみな”遭遇”。
起業が例えになたけど同時に自分自身の変化を振り返って(最近のものも含め)、実感として深いものがあったのでタイトルの内容になりました。
どんな小さなことでもトライすればそんなに遠くない未来に結果である世界にいる自分に気づくんだろうな、という自分へのメッセージもこめて。
写真は森戸海岸の夕日。 夏のシーズン以外の平日はこんな穏やかさで気持ちいい。
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