ここ数日ずっと久しぶりの友人、知人に子連れ同士で会うという機会が続いてました。
小さい子が集まると外で会うとなるとファミレスくらいしかなく(汗)
たいていそういうときは誰かしらの家に行ったり、自宅に来てもらったりというかんじになります。
だからそんな予定ができたときは手土産なり、おもてなしのお茶菓子なんかを準備します。
まだ授乳中だった頃までは、朝昼晩の食事の支度も余裕がなかったくらいなので手土産類はどこかで調達が通常。
でも授乳期も終わり、
細切れだけど10分くらいはひとり勝手に遊べるようになってくるとキッチン作業もかなり楽になり、
さらにうちは乳児期の5ヶ月間もの間ちょい深刻なアレルギー疑惑の広範囲の湿疹で食事制限の必要があったので、パンやおやつの類は手作り以外はあげられなかったのもあって。
なので手土産、おもてなし類はさらっと作れるくらいに手慣れちゃった、という副産物に恵まれました。
というわけでこのごろ作り方を覚えた”あんぱん”をお土産に。
すると…
みんなに驚かれ。
わたしは「へ?」(笑)
だって。
わたしにとっては「地味で素朴な高級感に欠けるおみやげ」。
手作りったってわたしにとっては「必要に迫られてやるしかなかった」ことで、最近は「日常の”作業”のひとつ」でしかなかったこと。
きっと食べることも作ることも
好き!!!!
って大げさなレベルじゃなくて
まあ、きらいではないかな…
くらいのレベルのひとなら、その「フツー」加減ってわかってもらえると思います。
でもそういうことを日常的にしないひとや、「ものづくり」に”なんとなくのさじ加減”が肌でわかったりしないひとには
すげーー!!!
ってなるもんなんだなあ、と改めて感心。
まさに「価値」ってこういうことなわけなのよね、
と妙に納得してしまったのでした。
わたしはいままでやってきたことが「特殊技能」としての立ち位置が確立された職種を自分の仕事としてやってきていたので、そういう感覚をつかみたくても本当よく理解できなかったんです。
技術やその他の必要な資質については明らかに「超努力」したし、めっちゃ時間も労力もお金もエネルギーもかけまくってきたわけですから。
うん、たぶん命と引き換えくらいエネルギーつかってた。
だからこそ、こんなちいさな存在であるわたしに対して信頼も、決して安くはない対価を認めてくださってたんだと思います。
ただ、40歳を目前にしてある程度の時間「生きる」をやってきて、すこしずつじぶんも世界も変わってくる中で「仕事」に対する感覚も今までどおりではなんとなく違う…と、ズレを感じていたんです。
がんばってがんばってがんばってがんばって。
がんばってがんばってがんばってがんばりつづけて。
そういうんじゃなくて、
もっと100%対ヒト、じゃなくて
じぶん=商品
みたいな図式をシンプルに表現していく”必要”があるんじゃないかって思ってたんです。
すこしでも「無理」な部分があると相手も違和感だし、何より「じぶん」が行き詰まり、息つまる。
そんなエネルギーのままで提供するものは同じ共鳴を生んでしまう。
”サービス”や”商品”ってそのくらい「ひびく」エネルギーとしての存在なんじゃないかな、と。
起業なんていう言葉は似つかわしくないけど、フリーランスという形(=自分自身が会社であり商品であり社長であり社員である、しごとにまつわるすべて)で仕事をしていたから
自分の価値を自分でどうにか決めて、それを伝え
なきゃいけない
みたいな部分がどうしも抜けなくて。
ものすんごい違和感があったんですよね。くるしかった。
だけど結局決めるのは「ヒトサマ」なわけです。
けどじぶんの価値をひとが決めるっていうことも受け入れられなかった。
否定されるのが怖すぎて(笑)(じぶんにとっては笑い事じゃなかったけど… ww)
じぶんの中でその「価値」を持ったものは”こっち”で”そっち”じゃない!ってなんか、そういうのもあったんでしょうね。
なので今回の「あんぱん」ひとつの喜ばれ方でなんだかすごく気づきがありました。
じぶん自身の受け入れ方や捉え方も変わったことも含めてね。
だからってあんぱんのレシピが商品として登場するわけじゃあないんだけど(笑)
「しごと」
「商品」
「価値」
ひとつひとつの言葉の中にもいろんな細かいコトが含まれてるわけだけど、いろんな視点で考えるきっかけになりました。
もやもやしてたから、ちょっとクリアになったかんじ。
すっきり気持ちいい。
そういえば前回もごはん関連の記事(笑)
秋だからかな〜。
「おいしい」がおおい季節です ww
記事とは関係ないけど、偶然とれた好きな写真。
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