夢や理想。
憧れのひとやもの。
念願の風景、環境。
夢に辿りつきたいと願うとき、いろんなことが心に浮かびます。
はじめは憧れの旅先の写真や、欲しくてたまらない思いでいっぱいになるそのモノが載ってる雑誌とかを見ながら
うわ、すてき!
と思う。
それがスタート。
実際その夢を叶えるひとの心の中は
これ、まじ欲しい!!(純粋)
↓
どうやったら手に入れられるかな〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜…
とアンテナ立てとく。
あとは基本忘れてて「いま」大事、すき、ネガティブ要素もちゃんと味わってる。
↓
なんかしらんけどGET!!!
(収入があがったり、どっかから援助があったり、譲り受けるとか知人から一定期間信じられない値段で使用できるはなしを受けるとか)
そんな流れなんだろうな〜と、豊かだなだなと感心するレベルの生活状況や資産を実際に持つひとたちと話をしてるとつくづくそう思います。
金額こそそこまで大きくないものの、わたしの人生の中では同じくらいの価値レベルにあった大きさの金額のモノや現金が1年の間に3度も入ってくるという経緯もあった今年。
振り返るとこれくらいシンプルな流れだったな〜と思い出されます。
よくやった!!わたし ww
(いい年まで人生ボロボロだったので ww)
反対に現実何も変わらないときに起こってたのは
これがあればあのひとと近づける、恥ずかしくない
これがある生活なら不安も焦りもなくなるだろう
これがあれば!あれもこれも解決するだろう!
(欲しいのはもはやそのものじゃなく、そのことで解消するであろう現在のネガティブ要素)
↓
でもいまのままじゃどうにもしようがない
あれもないし…
これもないし…
わたしなんかにできっこない!
わたしなんかにふさわしくない!
(手に入れる術のことを考える隙もない)
↓
ビジョン化しても法則やっても○○式やっても何も変わらない
いやなことや悩みは延々となくならない上に、最初のネガティブ要素は何も解消してない
こんな流れ。
もっと簡単に書いてみよう(笑)
物に限らず小さなことから大きなことまで願っているものが形になるとき、(それは他人の態度とか目に見えない抽象的な現象でも)
対象物に出くわす
願望の状況に思いを巡らす
↓
それが叶ったときのなんともいえないワクワクするかんじが楽しい。
以上。
↓
「たったいま、あるがままのいま」から「できること」は何か
そのことが現実に「叶う」ありとあらゆる方法を「叶ったワクワク」と「叶うワクワク」を思い浮かべながらアンテナをはぐらす。
以上。
↓
これ?
え?これ??
願ったこと以上のことがやってきた〜
しかもそんなオプションしらんかったし〜
ってかんじの流れで。
反対の「なんもかわらん」か、「アカンくなっとる」ようなときって
対象物に出くわす
願望の状況に思いを巡らす
↓
それによって様々な感情が湧き出す
(たいていの場合「比較」して自分や自分の現状とのの落差を探し出して落ち込む、責める、卑下する)
↓
叶わない現実や相手の態度などを否定しはじめる
(手に入れないとそのネガティブ要素に堪えられないから)
↓
相手や物事の全面を受け取れないから一部の面すら享受できない
↓
良くて現状維持
ちょっと痛いのが「よくなったように見せかける」「そう思えないのに思う」
最悪失う
こんなかんじだったなあ、と。
じぶんで書いといて簡素すぎてびっくり。
でもここまでシンプルにそうだったよね〜と感覚もともなって「落とせた」感あるのはいままでない。
地味にしつこく追求し続けててよかったと思えた瞬間(笑)
まとめみたいだけど「降りてきた」ので書いてみました。
空気が乾燥してますね。
幼い子供も「手がカサカサ」とか言ってるのを見ると、「大人になると失われていく○○」みたいな謡い文句の信憑性に一考しちゃう日々です。
ほんとのとこどうなんだろ?
ってのはやっぱり検証してみないとわからないものだなあ、と思います。
ほんとのところにこだわること。
やっぱ、ゆずれないですね。
いつでもどんな願いも叶えるひと。
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