新しく知り合った人と会ったりするとき
「(お仕事は)何やってるんですか?」
って聞かれたときに
「ヘアメイクです。撮影のときのヘアメイクとかメイクレッスンとかやっているんですよ」
って答えると必ず
「え!教えてください〜〜〜! きれいになってみたい!」
って言われます。
外見をどうにかこうにかいじる仕事なわけで、しかもそれをプロとして仕事にしてきてると聞いたら確かにそう思いますよね。(わたしも他の分野のプロに同じこと思うから)
なんだけど、その外見いじるわたしの立場からする「きれい」って別にヘアメイクがある、ないあんまり関係ないんですね。
こういっちゃメイクレッスンしてる身も蓋もないんですけど(笑)
今日は仕事を通して「これが美を作ってる」と目のあたりにしてきたはなし、です。
よく世間でいう「こうなりたい!!!」って憧れの対象って女優さんやモデルさんだったりしますよね。
彼女たちの素顔で気持ちも”素”の状態で会うのがヘアメイクという仕事です。
何年も同じ人を担当することもあるのでデビュー当時から売れっ子になった姿とかも目のあたりにするわけなんですが、
最初はほんっとフツーの女性
という印象の方がほとんどでした。
もちろん「明らかにDNAレベルで造りが違う…」っていう方も含めてね。
だからヘアメイクできれいになってるんでしょ?
みたいに思われがちですが、全然違って。
その力はその過程の中とても重要に働くものですが、それが100じゃない。
もっともっと「内側のはなし」で。
自分の外見そのものが「商品」であること
を自覚して
自分の外見を自分の「エゴ」とか「センチメンタル」から切り離す
ことをした途端、一気に
自分の外見への責任を徹底的に自分に持つ
というスタンスに変わって、そのことで仕事場に立つオーラが別人くらい変わるんです。
自分の外見が商品として扱われる経験なんて、誰もができることではないし、ある種人格否定にも陥りがちなそのちょっと特殊なその世界は誰もが「フツー」に生きられる場所ではないと思います。
ものすごく辛いはなしです。
だってその「外向けの見た目」の自分が「素の自分の人格」とほとんど無関係に「造られていく」んですから。
「自分のまま」でいられない時間が、ランダムに、時間もバラバラに、24時間を超えるスケジュールも珍しくなく続くなんて。
そんな自分を切り裂かなくてはいけないような強烈な経験を経てだからこそ、の「そのへん歩いててもオーラを感じる」レベルにまでなるわけで。
その上でヘアメイクの関わりがあるんですよね。
そもそも自分の外見に自分が徹底的に責任持ってる上
だからこそ、その力が無限大に発揮されるわけなんです。
もちろん文中に書いたように「明らかにDNAレベルで造りが違う…」っていう例えばモデルさんとか、女優さんとか、アーティストさんとかもいます。
だけどその彼女たちがそのもともとの造作にあぐらをかいたり、それに甘んじたりしてるかといえば…
その彼女たちには彼女たちなりの「なりたい」とか憧れの対象やコンプレックスを感じるほどの対象がいる
んです。
抱く「感情」は同じ。
別の土俵がそこに広がっているだけで、持っている感覚だって本当に最初は「フツー」の感覚の持ち主なんです。
でも結局は上の過程を経て、オーラをまとっていく。
責任感という名で自分で自分の外見のハンドルを握ることを
決めただけ。
ほんと、それだけだと心底感じました。
反対にそれがないといくら生まれもって恵まれた造作でも魅了されるような「美」のオーラって出てこないですしね。
だから結局は「美に対してのこころのありかた」が結果として「目に見える美」として”現象”になって表れてるだけなんだな、と思います。
そしてそこに「生き方」全てにたいしての責任感も加わると、もう表現できないほどの魅力になるわけなんですよね。
うん。
結局「こころ」が決める。
「美」も「こころ」もひとことの筆舌に尽くしがたい深淵なテーマでもありますが、ひとつ大きく信念と確信を持って言えることでもあります。
なんか今朝、起き抜けにこのテーマでコトバがすらすらすら〜っと降りてきたんですよね…
なので降りてくるままにかいてみました(笑)
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