YUKO

15年続けてきたヘアメイクの道の途中、ふいに出会った結婚〜出産の突然の激動。 どちらも自分には縁のないことと思いきっていた仕事しかしてこなかった2年前のわたしですが、現在は0歳児との生活に専念。 仕事を通じての美容のヒントときどき、ずっと独学し人生実験してきた心のことや引き寄せと呼ばれる心と世界のつながりについてや日々の気づきなど。 40歳目前、未来の自分へ贈るつもりで綴っていきます。

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R35(?)大人のためのチークの基本のき

コッテリ重たいラーメンがあんまり美味しく感じられなくなってくるのって35歳あたり…。体内の環境が変わるとやっぱり外見にも年齢を重ねた年輪は見えてくるわけで。メイクも若い頃覚えたまんまだとちょっとチグハグしてくるのもこのあたりかな、と思います。私個人でいうとそこまでのチグハグ感はつい最近まで感じない方でしたけど、その頃くらいからオトナっぽい!って昔憧れてたメイクがしっくり浮かなくなってきてたのでやっぱり変わってたのかな。大人になるとだんだん血色にフレッシュさが欠けてきて、変わりに大人ならではのアッシュ感というか。なんともいえない、どんな色も中和するようなスモーキーさが出てくるというか。これ悪い表現すると「くすみ」とか言うのかな。でも私はそれは年齢重ねた分の特別なギフトだと感じます。ただ。あんまり普段から自分でも他人さまにも「くすんでる」って印象は持たせたくないもんです(笑)やっぱりいつまでもフレッシュさは感じてたいし感じてもらいたい。それにはメイクだとチークの力が果たす役目ってものすごく大きい。でも理屈的な部分の情報がいまいちぼんやりしてるのもチーク。今日はそんな大人のメイクのためのチーク、基本のきな解説を。まずー。"チーク"っていうくらいなので頬に色を乗せるものなんですが、さあじゃあ頬ってどこ?ってなったときに顔の結構中心に近い、たこ焼き作れるあたり一帯を指す方がほとんどだったかな、レッスンでは。それはそれで間違ってないのですが、チークをまさにそこにすると例とするとペコちゃん風、すなわち幼い道化、おどけドールといったイメージが血色の他に足されます。メイクはイメージを創り上げるものなので、そうしたいときはそれでよいのですが…でも大人っぽくしていたいときも、特にチークの存在を感じさせるのではなくてチークすることによって得られる結果だけが欲しいのが常だったりする。リフトアップ効果とか、健康的でフレッシュな印象とか。それには入れる場所に秘密があります。

相手に向き合うという逃げ

またまた離婚騒ぎなことが起こった我が家。 というか私が一方的に怒って感情や本音を吐き出した!ってかんじだったけど(笑)旦那さんはそもそもとにかく「感情豊かに表現する」とか「言葉を使いこなす」とかすごく苦手で。わたしはベッタベタな愛情表現されたりしたい方だしツンデレも極みなレベルの方なので相手からアクション取ってもらえないとすごくつまらないと思うタチで。だから、そういう淡白なのかなんなのかよく分からない人と付き合ったことがなかった。だからそういう人との関係は旦那さんがはじめて。いままでいろーーーんな「これやったら離婚かな…」って本気で心配するようなことは地味に勃発してるんだけど、そのたびにうれしくなる変化を見せてくれてきた旦那さん。愛されてる感はそれを繰り返してきたおかげでどっしり安定してきたのだけど…やっぱり表現はほんとに苦手分野なのが日常でも痛いくらい伝わる。言葉にしようとするけど出なくてやっぱりやめちゃったりふっと伝えてくれたら物凄くうれしいことを思う瞬間がいくつもあるのだけど、言葉にする前にタイミング失って他の「やらなきゃいけないこと」に気を取られて終わる、で。完全に忘れる、とか。表現しようとするときなんてほんと苦々しい表情で苦痛を与えてるような、こっちが無理を強いてるようで苦しくなるくらいの様子。よく待つことが重要だと言うけど、正直昨日は爆発の興奮もあってどうしたらいいか本当にわからなくなった。パートナーと向き合うのは逃げ、と衝撃を受けたことがある。

乾燥肌で悩むとき試したら目から鱗なこと

夏らしい日差しの日もたくさんのこのごろ。梅雨時期だったはずのつい少し前も梅雨らしい雨の日は少なく。とはいえジメジメした空気は梅雨そのものでした。ジメジメする季節も、汗をかく夏でもなぜか肌の乾燥がふとした瞬間に気になるときがあるもの。冬場でも秋でも季節問わず、そして全く何も買わずにできる乾燥肌のための対策がひとつあります。それは洗うのを見直してみること。例えばメイク落とし料だったり、洗顔料だったり。メイク落としは乳化するメイク落とし専用オイルではなく、ただのオイルにしてみるとかダブル洗顔するのにもなるべくナチュラルな組成の石けんをつかうとかメイク落としはつかってもダブル洗顔はやめて、すすぎをとにかくしっかりするとかお湯の温度は熱過ぎないか気にするとかゴシゴシと肌をこすっていないか気にしてみるとか。これのいくつか、か、全てを意識してやってみる。それだけでもかなりトラブルっぽい質感は緩和するはず。一般の生活で日常するメイクってごく軽い程度が多いのに、極端に洗い過ぎているケース、レッスンでも多かったです。その後のケアについても変化して落ち着くまで数日から2週間くらい期間を要するけどなんにもつけないをやってみると自分のノーマル状態の肌を再確認できます。意外と乾燥肌でもなかったという発見があるかも。

足りないや嫌いをごまかすよりも

メイクのレッスンをしていて何度か感じたこと。あの条件がないこの条件がないっていろいろ「ない」部分にフォーカスを当てて日頃から自分を見ていて、それを埋めたり隠したりごまかしたりしたい気持ちでメイクをモノにしようと思ってる?と感じてしまうような自分への認識を持っている方って少なくないんだなあ、ということでした。あれがだめでこれがだめで。ここは嫌いで、ここは自信がない。とかね。私から見たらえ?それチャームポイントだけどな…と思うことだらけで、もちろんご本人にもそう繰り返し手を変え品を変え伝えて、見せて、ってやってました。セルフメイクは技術じゃないって言えるのは、そこの認識に対して自分を責める不足にフォーカスするというアプローチからじゃあどうなりたいのかそこからどう工夫するのかそもそもそれは本当に不足なのかと視点を変えて行くことで、作業自体にストレスを感じていた時間がクリエイティブで楽しくて自分を慈しむ時間に変わるから。そんな時間に変われば嫌でもそこにかける時間の質が変わってく。集中するし、余計な邪念がなくなるからどんどんうまくなる。どんどんバリエーションにも挑戦したくなる。冒頭の記事、とてもハッとさせられたのでシェアします。伝えたいことを上手く言葉にしてくれてるな、と共感したし長く携わってきたからすごくシンクロする部分が見えたから敢えてメイクで例えたんだども。これは人生を豊かに生きていく術そのものだと思います。うん。まずわたし自身がハッとした。何を感じてるのか。いい加減にごまかすのはもうやめよう。 

メイクが褒められるレベルになる労力なしのコツ

昨日わたしのスタンスはゴルフあたり(笑)なんだ、ってすっきりしてからいろいろ肩の荷が降りたのか気持ちが軽いです。なので今日はさらっとメイクのこと書こうかな。メイクうまくなるのには技術的なことを頑張って習得したり、いろんなお化粧品をたくさん買い集めたりしなくちゃいけないのかな…と思ってたとはメイクレッスンに来てくださったお客さまの言葉。わたしは第一声別に買わなくて大丈夫技術とかいらないから大丈夫って言って驚かれるのが毎回です wまず綺麗になりたい!メイクというツールを覚えて自分を変えてみたい!というその気持ちを持った時点でまず顔つきが少し変わってるのもありますが、手段が目的になるのではなくて、あくまでその結果得られる気持ちを欲しているわけなので技術面やアイテムなどのハード面に気合入れすぎたらゴールがずれちゃいがち。それよりも大事なのはうわ!綺麗!美しい!あんな顔の自分を見たい!!!ってかんじの素直な憧れや瞬間的なパッションとか心が躍る感覚の方。だからそのためには綺麗だな〜って単純に見とれちゃうようなビジュアルをたくさん「見る」っていう数の絶対数を増やせばいい。類は友を呼ぶ、といいますが、ただ見て「心が動く」だけでもそこへ近づく近道になるもの。まずは真似してみる。真似するにはじっと見るのが必要だから、自ずと自分のこともちゃんと見るようになる。そんなプロセスが自然と生まれるのが憧れを見つけてたくさん「見る」ことからだったりします。実は技術者もみんな憧れを真似しまくることを徹底してます。真似しまくって上手くなるとうれしい、自己満→人からも褒められる→さらにうれしいのでもっと好きになる→また褒められるそんな単純な構造です(笑)これほんと。うまい人ほど実は元々不器用だったり。わたしが好きなYouTuberは

女性としての仕事の関わりに今思うこと

わたしは今、お仕事についてはごくごく限られた機会に子連れを歓迎してくださる場合のみご依頼にお応えしています。もともとはずいぶん前から仕事の流れを大きく全然違うものへ舵取りしようと考えてはいました。そこへ突然の衝突事故なみの出会いから結婚〜妊娠〜出産〜育児生活、と大きな変化を経験して今育児生活継続真っ最中です。妊娠〜出産〜育児、ともう絶対不可抗力で自分の自由には体力的にも状況的にも無理に動き回れない、つねに何かしらの制限つきの生活、という先々の日々を想ったときにそんな今だからこそ追い求めていきたい!と強く思った世界があります。それは女性としての、自分の中の芯の成功や豊かさを実現した大好きなことばかりで埋め尽くされた世界。感性の仕事を長く続けてきたけれど、いつの間にか好きだったはずのことも苦痛になるくらい「仕事=苦しい」になってしまった他人軸だった自分。職人気質なところもあり、そして経験してきた世界も正にそういうものだったからこそ、私は男性と女性の区別なく素直にあれこれ先人の偉業や理論を突き詰めすぎた。全くそこに自分はなかったし、1人独立して活動した4年間もいつも自分への不信感みたいのがありました。まだあの崇高な理想に届いてないあの尊敬する人やスタイルと全然違うと。常に比べてた。技術そのものだけじゃなくビジネスとしての仕事全体のアプローチに対しても、セミナーいったり朝活したり、自己啓発本をバイブルのように読んでは模倣して。とにかく言わば男性的に頑張っちゃってたんですよね。でもこんなこと思っていいんだ、って考えに出会った。

人生の背景を変えていく

昨日の衝撃がまだ温度冷めてない今日。人は怒りとか悲しみとかガツンとネガティヴなエネルギーを自分の中で発生したときに、ほんとに大きな「動く力」が生まれるんだな〜と実感します。できれば避けたいし、イメージしちゃうと恐れで胸がつぶされそうになってしまうものなんだけど。でも当時者の立場になってしまって、そして怒りだの悲しみだの悔しさだの恥ずかしさだの、もろもろの炎を燃やし尽くしてあほみたいに落ち込んだりぐっちゃぐちゃに泣いたりモノに当たるほど怒りを暴発させたり恥ずかしさで体が焼け焦げそうになったりそんな一時(そこにいるときはめちゃくちゃ長く感じるけど)をとにかく押さえないで出すもの出して通り過ぎてしまえば、思い出してもなんでそんなになったんだっけ?というふうになったりする。子供の頃は当然のようにできたのに、その「出し切ること」がいつからかできなくなっているもので。乳児や子沢山家族のご近所幼児ちゃんや小学生たちと日頃から触れ合っていると確信する。ああ、どっからかこじらしたなと。このへん、ほんとに自分とバカみたいに集中して対話?というの?なんだか会話みたいに自分に対して質問したり確認したりっていう作業を経ないと「実感レベル」まで昇華できないもんだな、といまだに感心する。そして怒りや悲しみのあとはいつも、ちゃんと愛情や感謝が「勝手に湧いてくる」んだよなあ。だからそんなにビクビク怯えるほど怖がらなくていいよ、と今日以前の私と今日からの私に教えてあげたい。私が昨日の衝撃で決めた。と強く思い直したことは、もちろんより自由で楽しい「"常にある今"を含めた未来」のことだけど、ほんとうのほんとうのこの瞬間の「今」の自分に還ってくることを忘れるなというメッセージが強く入ってたなと今日は思います。そこに強い確信を与えてくれるのはこのごろずっと素敵だなあ、ゴツくてかっこいいなあと感じている藤本さきこさんのブログのこの記事。↓

長い乳児湿疹からの贅沢時間

野菜ごはんって自分で献立考えるの毎日のことになるとアタマ痛い。うちの坊やは5ヶ月頃からひどい湿疹に悩まされたクチです。いわゆる典型的なアトピーの湿疹とは違って、最初は真菌の湿疹だと診断されてその類の薬を処方されて塗ってました。 (最初の1週間だけ。 塗ったらその周りへ、またそこに塗ったらその周りへ、とどんどん拡がってイタチごっこみたいになったので怖くてやめました。 詳しいことはまた改めて)結果的には中からどうにかしないといけないね、といろんな対策のあと結論に達して。それからはアレルギー抗体の数値表を頼りにほとんど野菜で大人と離乳食の献立を考える日々でした。わたしは「いい奥さん」像からほど遠い人物なので夕飯の献立考えるのがストレスです(笑)そんななのでほんと、つい少し前まで外食すら何が混入してるのか、と神経をすり減らすという逃げられない強烈なストレスが生活に常にありました。およそ5ヶ月間。気が気じゃなかったな。ようやく湿疹は時々出ても狭い範囲になり、アレルギーの食物に関しても大分大らかにしていても問題なさそうと判断できたこのごろ。そんなこともあってもう長いこと朝昼とうちでしか食事してこなかった私と坊やだけど、さすがに疲れる。たまには贅沢になんの心配もなく贅沢な時間を過ごしたい!と無性〜に思ったこの日。そんな日は近くにあるYUSANさんへ。ここでお昼ごはんするって私にはまだ贅沢の部類 w自分を生きる、という意味ではまだまだ子離れ、乳離れしてない親子なんだな〜と思いつつ…のんびりしながらこうしてゆっくりでいいからいろいろ重ねていこうと思うのでした。ツワモノは子供が0歳だろうがしっかり子離れ、乳離れしては人、いるもんね。